大阪夏の陣の岡山の戦いは岡山町ではありません

NHK大河ドラマの「真田丸」がいよいよクライマックスを迎えます。

大阪夏の陣は天王寺・岡山で徳川軍と豊臣軍の決戦となります。

岡山というと岡山ビルのある旧大阪市東区岡山町?と思いたくなります。

しかし、ここでの岡山は今の生野区の勝山付近らしいです。

 

岡山ビルは大阪城のすぐ南で、真田丸よりもまだ北側(大阪城より)です。

この辺りは武家屋敷が並んでいたので、野戦場にはならなかったのでしょう。

岡山ビルの付近は大阪城に向かってかなりの上り坂になっています。

これは自然の地形もあると思いますが、人工的に傾斜をつけたのではないかと思います。

同じような地形が、江戸城(現在の皇居)の西側の四谷あたりから千代田区一番町に向かって見られます。

徳川家康は西側からの攻撃に備えて武家屋敷を密集させて一番組という親衛隊を備えた上で、攻め方にはつらい上り坂としました。

おそらくこれは太閤秀吉のアイデアをパクったと思います。